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ピアノが寄贈され、三山敏さんの長女の田中裕子さんの伴奏で「釜ケ崎人情」が歌われた=2024年10月1日午後2時19分、大阪市西成区、伊藤進之介撮影
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 「日雇い労働者のまち」として知られる大阪市西成区の釜ケ崎を歌った「釜ケ崎人情」。1967年に発表され、レコードの売り上げが70万枚を超えるこの曲を作曲した故・三山敏さんが愛用したピアノが1日、釜ケ崎の病院に寄贈された。

 この曲で受けた恩を「地元」に返したい――。同曲の作詞者のもず唱平さん(86)の思いに、三山さんの長女・田中裕子さん(55)ら家族が賛同し、実現した。もずさんは「釜ケ崎人情」のカラオケなどの印税(演奏権)も病院に入るよう手続きを進めている。

 ピアノが設置されたのは、大阪社会医療センター付属病院(西成区萩之茶屋1丁目)病院1階の待合スペース。

 同病院は、70年に日雇い労働者らへの無料低額診療にも対応する施設として創設され、地域医療を支えてきた。釜ケ崎に多い結核患者の治療にも力を入れてきた。

 もともと日雇い労働者が集まる「あいりん総合センター」の中にあったが、センター閉鎖により2020年に小学校跡地に移転した。

 もずさんや田中さんの希望もあり、駅や空港に置かれた「街角ピアノ」のように、誰でも好きな曲を自由に弾けるようにするという。

 ピアノは1986年に購入され、大阪市内の三山さん宅のレッスン室に置かれていた。長女の田中さんにとっては、父娘で弾き続けてきた思い出深いピアノだ。

 音大卒業後、ピアノ教室を営む田中さんは、父が亡くなった後、ピアノを業者に売ることも考えた。ただ、思い出のピアノを手放すことに寂しさも感じ、迷っていたところ、もずさんから寄贈の提案があった。「きっと父も喜んでくれる」と二つ返事でOKした。

 1日、寄贈に立ち会った田中さんは「釜ケ崎人情が地域で愛され、歌い継がれていく一つのきっかけになったらうれしい」。搬入されたピアノを見て、「父も照れくさそうに喜んでいると思う」と涙を流した。

 その後、感謝状を受け取り、寄贈を機に練習してきた釜ケ崎人情を演奏した。

 もずさんは「ピアノも印税も里帰りのようなもの。釜ケ崎で生まれたものは釜ケ崎に返す、いわば渡世の義理なんです」と話す。

 医療センター理事長の荒川哲男さん(74)は「このまちにゆかりのあるピアノがやってくるのは何ともノスタルジック。ピアノ見たさや弾きたさで検診に来る地域の人たちが増えてほしい」と歓迎している。

 まちのがんの罹患(りかん)率の高さを心配する荒川さんは、釜ケ崎人情の印税をガン検診の促進に役立てたいという。(市原研吾)

歌い継がれる「ここは天国」

 釜ケ崎人情 1967年に発表された歌謡曲で、翌年にテイチクレコードからレコードが発売された。もず唱平さんが作詞、故・三山敏さんが作曲し、故・三音(みつね)英次さんが歌った。「こゝは天国 ここは天国釜ケ崎」のサビで知られる。

 もずさんと三音さんのデビュー曲で、曲名を決めたもずさんは「直接で芸がないが、ほかにないと思った」。春日八郎さんや藤田まことさん、中村美律子さんらも歌い、釜ケ崎では今も越冬闘争などの時に歌われ続けている。

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